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にんにくの起源と伝説

にんにくの起源と伝説

人とニンニクの関わりは、たいへん古いことが記録からもよく知ら れています。このニンニクのもつ刺激的な句いや昧は、活力を高めた り、病気を治癒させ、また病気にかかりにくくすることと、密接に結 びつけて考えられてきました。

ニンニクは、人類が最初に手にしか治療薬、あるいは万能薬ともい われるほど、効果が高く、効能範囲もたいへん広いうえに、また食品 としても昧を引き立て、非常に魅力があるといわれます。しかも、副 作用がなくて保存しやすいなど優れた特長から、世界的に広く親しま れてきました。このニンニクの起源は、古く中央アジアの遊牧民の伝 説から求められるといわれます。

遊牧民の男が、ユルトと呼ぶ移動式テントの中で、高熱のため死に かかっていました。その男の妻は一族の賢者カムのもとに走り、「彼 の魂を呼びもどして下さい!」と懇願したのです。カムは急いで男の ユルトの近くまで行くと、珍らしい▽奉の草が目にとまりました。そ の草にはすばらしいパワーがあるのを、カムは感じとり、その草を拉 いて互い茎のかけらを三つ、上空に放り投げたところ、ドラのような 大きな音がしたのです。そうするとユルトから、悪霊がものすごい顔 をして立ち去っていきました。カムが、残りの互い茎のかけらをスー プに入れ、男に飲ませたところ、病気の男はたっぷりと汗をかき、熱 が下がってきたのです。一族の者たちは、この草を集め栽培すること にしました。この草は一族の病気を治癒させ、健康に恵まれた一族は その草を遊牧に携え、草は世界に拡がっていづたというのです。

 

ロシアの植物学者A・フェドレンコらは、この伝説の地中央アジア (アフガニスタンの北からチペットと、ロシアの南、中国の西に接す る地域)に、探険隊として訪れ、野生のニンニク属の植物の原種を、 いくつも発見したのでした。

インドでは、現存する最古のサンスクリット文書(紀元350~375年)の医学書(バウァー文書)に、賢者カシラジャの話を記録し ています。

光り輝く神デーヴァは、戦いの好きな悪魔アスラと、長い戦いで一 時休戦をして、太陽と月をつくりました。そして、さらに不老不死の 霊薬エリキサをつくったのです。これを悪魔アスラが盗み、捕って首 をはねられたとき、その血のしずくが地面に落ち、ニンニクが生れた というのでした。

同じような伝説は、イスラム敦にも伝えられてきました。このよう な神話の時代を加えると、人類とニンニクの出合いは6000年も前にさ かのぼるともいわれています。

これらは、ニンニクの神聖で魔力的なパワーと、句いの強さを示し たものでした。このニンニクの魔力に対する力を、現代社会にドラマ として、世界的に有名にしたのは「吸血鬼ドラキュラ」の物語りです。 ドラキュラが最も恐れたのは、なによりも十字架とニンニクのパワー だったのでした。


島津氏28代当主島津斉彬はにんにく好き!

鹿児島空港の目の前にある西郷公園をご存知でしょうか?
ここには実在の人物で最大の像があるんです。
ご覧のとおりの堂々たる「西郷隆盛像」です。
その高さは10メートルを超えます。

ここには西郷隆盛を始め西郷さんとかかわりの深い薩摩の方々の資料がありますが、その中に「にんにく」にまつわる情報を見つけてしまいました。なんと西郷隆盛を見いだし取り立てた名君島津斉彬公がにんにく好きだったという情報です。

島津斉彬の曽祖父豪重が編纂させた成形図説で取りあげられたにんにく(ひる)のことをちゃんと分かっていたのかもしれません。



FANCLの冊子「元気生活」でニンニクの効果を解説

 
日本大学の有賀豊彦先生が解説されています。
とっても分かりやすくまとめられていました。
内容を要約すると・・・

●ニンニクは古くから滋養食として珍重され、医薬品のない時代を支えていました。

ニンニクに関する一番古い記録は、紀元前4500年のエジプトにあり、ピラミッド建設の際、労働者達の貴重な活力源として用いられ、不作などで供給がストップするとストライキが起こったとも伝えられています。その後ニンニクは強壮効果や腹痛の治療、駆除の特効薬として広がり、特に中国では、「ニンニクに勝る薬、食品はない」と言われたほど。医薬品が無かった時代、ニンニクは万能薬として珍重されていたのです。

●ニンニクは切ったり、擦りおろすことでアリシンという匂い物質ができ、多彩な薬効を生み出す。

ニンニクは傷つけられてはじめて強烈な匂いを発しますが、それは細胞内に蓄えられたアリインと、水や栄養を運ぶパイプが集まった場所(維管束)に存在するアリナーゼが反応して、匂い成分「アリシン」を発生させるため。アリシンは大変不安定な性質を持ち、すぐに百数十種類もの成分へと変化します。そのため、切ったニンニクをしばらく置いておくと匂いが変わるのです。

●アリシンの殺菌能力は強力。ほとんどの細菌に働き、水を溶けると1年近く効果を発揮

第二次世界大戦中に赤痢が流行したときには、ニンニクが特効薬として用いられたほどです。この殺菌作用はアリシン中のアリルチオ基という特殊な分子を直接、細菌にぶつけて行われていることがわかってきました。

●ビタミンB1の吸収率アップとアドレナリン分泌促進での強壮効果、さらに脂肪燃焼も促します。

ビタミンB1は、糖からエネルギーを作るために欠かせない水溶性のビタミンで、糖をたくさんとってもビタミンB1が不足していればエネルギーの代謝が滞ってしまいます。

ビタミンB1とアリシンが結合し「アリチアミン」という物質になると、水溶性から脂溶性になり、吸収率が10倍にもなるといわれており、体内に蓄えられやすくなって、ビタミンB1の働きが長時間持続します。


















さらに、ニンニクはアドレナリンなど、私たちの「やる気」や「気力」に関わるホルモンの分泌を促進します。アドレナリンは、体を興奮状態へ導き、瞳孔拡大、気管支拡張、心拍促進に作用するもので、眠気を覚まし、気分を高揚させる働きがあります。また血糖の燃焼を促進させる為、ビタミンB1のエネルギーー産生を持続させる効果とあいまって、さらに「元気」を湧き上がらせるのです。

また、アドレナリン分泌に働くニンニクは、褐色脂肪組織を活性化します。褐色脂肪組織とは、エネルギーをためずに、どんどん消費する特殊な脂肪組織で、体のごく一部にしか存在しないと言われています。ネズミを使った試験では、ニンニク摂取後、褐色脂肪組織が大きくなり、体温が上昇することが分かりました。脂肪燃焼の促進も期待できます。このほか、アドレナリンには、中性脂肪の燃焼を促進させる働きも報告されています。

●ニンニクの血液サラサラ効果は顕著で、血栓予防、血圧低下のほか、血流を促し冷え予防にも役立ちます。

















ニンニクの血液サラサラ効果は大変顕著で、ニンニクを5g食べると約48時間も血小板の凝集力が抑えられます。血小板はケガをしたときなどに血を固める大切な血液成分ですが、活性化しすぎると動脈硬化の進行や血栓の形成を促し、心筋梗塞や脳梗塞の原因となります。

最近の研究結果で面白いことが分かってきました。本来、ニンニクを食べるとアドレナリンやノルアドレナリン分泌を促進するため、血圧が上昇しそうですが、実際は、血圧が下がる報告が多くあり、長年、ニンニク研究の課題とされてきました。しかし、最近の研究で、ニンニクの匂い成分をもとに体内で作られるスルフィド類が血液中でごく微量の硫化水素となり、非常に強力な血液拡張作用を発揮することが分かってきたのです。これにより、血管の筋力が緩み、血液が下がると言うわけです。

さらに、スルフィド類には、「脱感作」と呼ばれる作用があることも分かってきました。これは耐寒に関わる神経に先回りして、体温上昇・高体温へと導き、寒さを感じにくくさせる働きです。通常、耐寒に関わる神経は摂氏17度で働きますが、脱感作は、気温に関係なく起きるため、冷え対策に役立てることが出来ます。ついでに、脱感作はカプサイシンにも見られ、こちらは耐暑に働きます。世界的に見て一般に寒い国の伝統食にはニンニクを使用するものが多く、暑い国には唐辛子を使うものが多いようです。

「成形図説(せいけいずせつ)」に見る「にんにく」

江戸時代、薩摩藩が編纂した百科事典「成形図説」で「にんにく」の薬効、食べ方、食べ合わせ、食べるべき日に至るまで詳細に記載されています。当時全国的には食用として広まっていなかった「にんにく」ですが、薩摩藩ではとても重宝されていたことがわかります。また、薩摩藩は飢饉による餓死を防ぐため、にんにくの常食を推奨していました。














●「主治風水悪痒(あくよう)を除き蟲(むし)を殺す」


「嘔吐乾湿霍乱(おうとかんしつかくらん)已(やま)ざるに小蒜を煮て汁を服み、サイ中に灸すべし」 (意味)食あたりのような時は、にんにくの汁を飲んで、お灸をすべし。


●「中暑(あつけあたり)に大蒜(おおひる)一大弁(ひとへら)を嚼水(かみみず)にて送下(のみくだ)す、若(もし)嚼(かむ)こと能(なら)ずは水にて研汁(すりじる)を注ぎ飲む」 (意味)夏ばて対策として、にんにくをかじって水で飲む、若しかじることが出来ない場合は、すったにんにくを水で飲む。


●「疫病流行の時に家々大蒜のき下にかくる」 (意味)軒下ににんにくを下げることで、邪を払い、健康を祈願。

●「煮食えば穀を消す」 (意味)にんにくを煮て食べれば、穀物の食べる量を減らすことができる


※成形図説(せいけいずせつ)
本書は薩摩藩の博物書。25代藩主・島津重豪(しまづしげひで)の命により、勧農、救餓、済急のため、編纂されたものです。享和2(1802)に着手、文化元年(1804)までには100巻が編纂され、農事部、五穀部、疎菜部の30巻が上梓されました構想としては、農桑、五穀、から草木、鳥類にまでおよぶ大百科事典だったようです。当時の本草学進歩の跡をうかがい知ることができる資料です。特に,最重要部の農事は,江戸時代の農業技術及び慣行だけでなく,土地制度,租税,農事経済などについても記載されています。その内容は、和名の見出しに、漢名、オランダ名がそえられ、古文献からの引用で説明を展開するものです。

「にんにく」効果の科学的解明の歴史

[にんにくブログ]












(アリシン化学式)

近年では「機能性食品」として認められ、その地位は確立されてきていますが、その効能・効果が解明されるまでには、実に長い年月が掛かっています。

《古来》
西洋医学の祖といわれるギリシャのヒポクラテスをはじめ多くの科学者がにんにくの効果の解明を試みました。「にんにく」の有効成分は「あの独特のニオイに秘密があるのではないか?」と研究が続けられてきましたが、なかなか進展はしませんでした、

《1844年》
ドイツの科学者ベルトハイムが「にんにく」の有効成分がそのにおいそのものである事を最初に指摘、彼は潰した「にんにく」を鍋に入れて煮立て、水蒸気と一緒に蒸発してくる成分を冷却管を通じて集めることに成功しました。これは強烈なニオイ成分からなるもので、今で言う純粋な硫化アリル化合物の入っているガーリックオイルだったのです。

《1892年》
ドイツの科学者ゼムラーは元素記号に力を入れてこの黄色い油分を「硫化アリル」と命名するとともに、50年を費やして成分組成を解明しました。これは驚くほど正確なものでした。

《1944年》
アメリカの科学者カバリトとベイリーが「にんにく」には無臭のイオウ化合物がある事を発見。さらに、「にんにく」をすったりして細胞を破壊すると発生する「アリシン」という成分があること、そして「アリシン」に抗菌作用があることも解明しました。

《1951年》
スイスのノーベル賞科学者ストールとシーベックはアミノ酸の一種で、細胞内に蓄えられている無臭の成分「アリイン」と、維管束にあるアリイナーゼという酵素が反応することによって、初めてニオイ成分が出来ることを発見しました。

《1960年代後半~1980年代前半》
インドの科学者たちが「にんにく」に動脈硬化を抑制する作用、血液脂質を低下させる作用、血小板の凝集を抑制する作用、がある事を発見してから、いちやく注目され、研究されるようになりました。

《1990年》
アメリカ国立ガン研究所が、ガン予防に効果が期待される食品をリストアップして「デザイナーフーズプロラム」として発表。ガン予防の観点から長年の免疫調査に基づき、食品をランク付けし、そのトップに選ばれたのはなんと「にんにく」であった。

サイト内リンク→にんにく効果徹底検証しました

「源氏物語」にも登場する「にんにく」


日本には奈良時代に、中国から漢方薬として伝来したと言われています。 「にんにく」は、あの『源氏物語』にも出てきます。「帚木」のなかの、有名な「雨夜の品定め」に、『極熱の薬草』として登場しているのです。 梅雨の降り続くある夜に、式部丞が光源氏や頭中将たちに乞われて話した、非常に学問のある女性についての話のくだりです。 付き合っていたこの賢女は、久しぶりに訪ねてきた式部丞に対し、『病気のため、極熱の薬草(すなわち「にんにく」)を服用していますので、口辺に臭気がありますゆえ、お会いできません』と、しゃれた断り方をしたと、式部丞は告白するのです。  さて古来日本では、「葷酒山門に入るを許さず」と言って、葷(臭い野菜=にんにく、ニラなどのネギ類)と酒は、寺院に入ってはいけないとされてきました。酒は人の理性を狂わせ、にんにくなどの葷は精を強めすぎるため、清浄な修行を乱すためとされています。 生臭坊主は、酒を般若湯と名付けて飲んでいたようですが、さて「にんにく」は、どうしていたのでしょうネ。

世界の歴史の中で活躍した「にんにく」


(バビロニア)
バビロニアの大王は、貢物としてにんにく1440万リットルを納入させた。

インド神話:デバス王とアスラス王の間で不老不死の妙薬アムリタ(中国名は甘露)をめぐる戦いがあった。戦いに敗れたアスラス王であったが、アムリタのおかげで死なず、その血のしたたったところからニンニクが生えた。

紀元前1500年に記された医療ハンドブック「コデックス・エバーズ」の中で、頭痛、心臓病、月経不順への良薬として記載されている。

エジプト人は死後の世界での食料、医薬品として、死者の棺の中にニンニクを入れた。

インディアンの間では、3つの病気を治す薬として、伝承されている。3つの病気とは「臭い人間の排ガス」「臭いゲップ」「汚いタン」→訳がわかりません。

ギリシャでは戦闘の前に、兵士達がニンニクを食した。喜劇作家アリストファネスは劇中で取り上げている。

ローマ時代の医師ディオスコリデスは西暦100年頃、従軍中に家庭常備薬の本「マテリア・メディカ」を出版。その中でニンニクの効能に関して述べている。

ローマ時代の医師ガーレン、プリーニや詩人ヴァーギルはニンニクの効能を著書に残している。

ギリシャの物理学者ヒポクラテスは健康維持のため住民にニンニク食を勧めていた。ヒポクラテスの言葉「あなたの食べ物を薬にしなさい。あなたの薬は食べ物なのです。」→医食同源?

ユダヤ人の法典「タルムード」には、怪我の治療薬として紹介されている。

第一次世界大戦の英軍、第二次世界大戦の露軍でも傷の手当て、感染症の予防として使用されていた。

フェニキア人、バイキング族など長期の航海をする人達はニンニクを船中に常備した。

1965年ロシアでは流行性感冒の感染をストップさせるために、5,000トンものニンニクを集荷。「ロシアのペニシリン」と呼ばれた。

日本におけるにんにくの歴史

●日本史における最初の記述
「にんにく」は、4世紀ころに、朝鮮半島、中国大陸を経て日本に伝来したと考えられます。「古事記」(712年)には「倭建命(ヤマトタケルノミコト)が東国を平定し帰途にあり、足柄山の坂本で食事をしているときに、坂の神が白鹿に化けて来たので、命は食べかけの蒜で白鹿を打つと、目にあたり、打ち殺した。」と記載されています。また、「日本書紀」(720年)にも日本武尊(やまとたける)と蒜について同じような記述があります。「にんにく」の栽培に関しては、918年の「本草和名」に記録されているのが日本における最古の記述です。
平安時代(808年)に安倍真直、出雲広貞らによって編纂されたとされる日本最古の医書「大同類聚方」には「駿河国でたくさん産する」、「悪寒発熱を伴う症状への処方」などとして蒜が紹介されています。また、984年に丹波康頼によって編纂され、丹波家に代々伝承された現存する日本最古の医書「医心方」にも、葫(和名:於保比留 おほひる)、蒜(和名:古比留 こひる)として脚気、風邪、虫刺されなど多くの症状に対する処方が示されています。

●「にんにく」と宗教
ニンニクが医薬品、食品として普及していく一方で、619年に聖徳太子が中国から伝来した仏教を国の宗教として定めて以来、ニンニクを避ける思想が浸透していきました。律宗や禅宗ではその修業の場において、怒りや情欲を呼び起こす酒と蒜を不浄なものとして食しないように戒律を作り、人々にも要求したのでした。今でも禅寺門前の戒壇石に、「不許葷辛酒肉入山門」(葷辛酒肉山門に入るを許さず)の文字が刻まれているものがあります。この葷は葷菜(くんさい)、すなわち蒜や葱のような臭い野菜を指しています。

●「にんにく」の語源
日本ではニンニクは古くは「ヒル: 蒜」と呼んでいたようです。937年に編纂された日本最古の百科事典とされる「倭名抄」には「蒜(蒜顆)、大蒜、小蒜、独子蒜、…」などの記載がありますが、ニンニクと読むものはありません。ニンニクと呼ばれるようになったのは室町時代初期のことのようで、1454年に飯尾永祥が著した「撮壌集(さつじょうしゅう)」に「葫(にんにく)和名大蒜」と記載、下がって1548年に成立した辞書「運歩色葉集」には葱蓐(にんにく)と記載されています。「ニンニク」の語源は仏教でいう「忍辱(にんにく)」、つまり耐え忍ぶことで、強烈なにおいを耐え忍ぶこと、という説があります。一方、貝原益軒は「日本釈名」(1699年)で、「にほいあしくてにくむべし」、すなわちにおいを憎むが語源としているなど、諸説があります。

世界各地に古くから伝わる「にんにく」


「にんにく」は、その学名をAllium sativum L. と言い、植物学者のリンネがにんにく(ニンニク)を意味するラテン語Alliumを属名とし、栽培を意味するsativum を種名として命名したものです。この学名が示すように「にんにく」は古くから栽培されていたようです。昔からニンニクが愛されてきたことを世界の歴史から探っていきましょう。

●古代エジプト
紀元前3750年頃に造られたとされるエジプトの王墓から9個のニンニクの粘土模型が発見されています。また、紀元前1300年頃に造営されたツタンカーメン王の墓からは乾燥したニンニク鱗茎6個が発見されています。紀元前1500年以前に書かれたとされる世界最古の薬物治療書「エベルス パピルス(The Papyrus Evers)」には、疲労、衰弱、手足のふるえを伴う神経系疾患、月経不順や堕胎、心循環系疾患などに効くとしてニンニクを含む22の処方(治療薬)が記載されています。 歴史の父、ギリシアのヘロドトスは、紀元前450年頃エジプトを旅行し、ピラミッドの上に刻銘された象形文字に「ピラミッドの建設に従事した労働者が大量のニンニク、タマネギ、ラディッシュを食し、この購入のために高額の銀が支払われた」ことが書いてあったという逸話を著書「エジプト史」に残しています。

●古代バビロニア
紀元前600年頃の新バビロニア王国のネブガドネザルⅡ世が最愛の妻アミティスのために首都バビロンに作らせた、といわれている空中庭園(Hanging Gardens)でニンニクの栽培が行われていたことを記述したものなど、いくつかの粘土板が発掘されています。

●古代ローマ
古代ローマ時代、紀元1世紀頃にディオスコリデスによって書かれた「薬物誌」には、咳止めや寄生虫の駆除など急性疾患の治療薬としてニンニクが紹介されています。

●古代中国
漢の武帝の頃、外交使節として西域に派遣され、匈奴(きょうど)による囚われの期間を含めて13年間にも及ぶ西域派遣から長安に帰還した張騫(ちょうけん)によって紀元前121年にもたらされたと「本草綱目」に記載されています。よく似た植物で、もともと中国に存在した“蒜”(和名:ひる)に対して、西域からもたらされたものは最初は葫(和名: こ)、葫蒜、そして大蒜(和名: おおひる)と呼ばれるようになり、蒜は小蒜(和名: こひる)と区別されました。大蒜がはじめて登場した本草書は、陶弘景(456~536年)による「神農本草経集注」です。

●古代インド
古代インドの医学書「アーユルベーダ」には心臓や消化管、呼吸器に対するニンニクの薬効が記載されていますが、インド最古の法典「マヌ法典」ではバラモン教の司祭がニンニクを食するのを禁じています。

中国漢方薬草学の古典「本草綱目」で「にんにく」の効果が記載!

中国漢方薬草学の古典である『本草綱目』には「にんにくを生で食すれば怒りが内にみなぎり、煮て食べると性欲が高まるので、仏教や道教ではにんにくを禁じている」と記述されと同時に、「にんにく」の七つの効果が記されています。
1 解毒 
2 温中(体内を温める) 
3 消穀(デンプンを消化する) 
4 理胃(胃病を治し、丈夫にする) 
5 帰脾腎系(脾臓や腎臓を強くする) 
6 塗疔腫(いろいろな皮膚病に効果がある) 
7 ニンニクの葉は心臓病に良い

●本草綱目(ほんぞうこうもく)
中国の本草学史上において、分量がもっとも多く、内容がもっとも充実した薬学著作で。我々が健康な生活を送るための食生活の指針ともなるべき名著といわれています。この本は題名にもあるように動物、植物、鉱物の中で人間の病気を治すもの全てを「本草」といい、それを研究する学問を「本草学」と呼んでいます。本草学の中でも最も古いのは中国の「神農本草経」ですが、これは世界的にも最古のものといわれています。「本草綱目」は明朝の李時珍(りちじん)(1518年- 1593年)が神農本草経を参考にしてまとめ、世に残したものです。本草綱目 - Wikipedia

「にんにく」に関する本草綱目掲載ページ

薩摩藩士の参勤交代は「にんにく」が可能にした!?




薩摩藩の参勤交代を想像してみてください。その距離なんと1600キロ、一日平均30キロを約50日間かけて鹿児島から東京まで歩いたんです。中には島津の歴代の藩主の籠持ちもいたのだから想像を絶する行脚ですよね!その薩摩藩士のパワーの源が「にんにく」だとも言われています。当時の「にんにく」は未だ食用としては広まっておらず、漢方薬の原料生薬として少量しか使用されていませんでした。しかし世界への視野が広かった薩摩藩では「にんにく」の効能を早くから見出し、食用として消費していたのでした。参勤交代の長旅を支えるための常備食「にんにく卵黄」が作られたのも必然だったのでしょうね!

また、薩摩藩が幕府に木曽川の治水工事を命じられた時、劣悪な労働環境や想像を絶する難工事、幕府からの無理難題をものともせず、見事、治水工事を完成させたのは、当時、日本にはなかった「肉食文化」とにんにくを常食する食習慣があったからだと思います。(宝暦治水事件)

古代ローマ兵士の強さの秘密は「にんにく」


古代ローマ時代になると、ニンニクは遠征に出かける兵士たちの体力維持に欠かせない野菜となっていました。 また、ローマ人は領土を広げるたびに、その地にニンニクを植えていった。ローマ兵が強かったのはニンニクのせいだと云われている。消毒力・解毒作用があり、病気になりにくく、キズの治りが早いためと思われる。現代でも古代ローマが統治していたスペインはニンニク料理が多いのです。

ピラミッド建設を支えたスタミナ源「にんにく」



2〜3000年前の古代エジプトのピラミッドは20年以上の歳月をかけ2トン以上の石を200万個使い炎天下の下で20万人の労働者達が築きました。古文書(パピルス)には、にんにくがその労働者に与えられていた事が記されています。クフ王が建造したピラミッド内部の壁画には、労働者がにんにくを食べ厳しい労働に耐えている姿が描かれています。

チャングムで重要な役割を果たした「にんにく」


韓国ドラマで「宮廷女官チャングムの誓い」にんにくが重要な役割をしましたがご覧になりましたか?
皇太后が病気になり、食欲がなく、薬も飲めない。そういう状態では皇太后があぶないので、医者が医女チャングムに頼んで、にんにくを丸薬にする。実は皇太后はにんにくや体に良い食べ物が嫌い。だけど、チャングムが作ったにんにくの丸薬を皇太后は食べるとおいしいので、毎日食べる。

すると、にんにくのおかげで元気が出て、薬も飲めるようになり、針治療もできてよくなった。チャングムをねたむ先輩の医女が、皇太后が嫌いなにんにくを食べさせたチャングムを上司に言いつけるが、皇太后はにんにくの臭いがしなく、おいしく食べられたがどうしてかと尋ねる。チャングムはにんにくの臭いを消すために緑茶でにんにくを蒸して、米ぬかとほしなつめをこねて丸薬を作ったと答える。医者がなぜ、皇太后ににんにくと米ぬかを使ってチャングムに丸薬を作らせたかと言うと、にんにくは胃に良く便通、脚気に効き、米ぬかは吐き気をなくし、食欲のない時によいという。皇太后、王様に医者とチャングムはお礼を言われる。
以上が「宮廷女官チャングム」のある回の話です。

☆にんにくの効能
「宮廷女官チャングム」でわかるように、にんにくは胃に良い(多すぎないなら胃に負担もない)、便通に良い(胃腸の働きを良くする)脚気に効く(にんにくは疲労回復に役立つビタミンB1の働きを高める、ちなみにビタミンB1不足が脚気になる)
(参考)チャングムの医者がにんにくといっしょに丸薬を作らせた材料の米ぬかはビタミンB群、ビタミンE、食物繊維があり、これによって疲労回復に効果があったのですね!

☆にんにくの歴史
・チャングムは16世紀初頭の朝鮮王朝時代を舞台した、実在の医女チャングム(長今)をモデルにして描かれた韓国の時代劇ですが、にんにくはもっと昔から人々に食べられてました。
・紀元前3750年頃のものと思われるエジプトの王墓から9個のニンニクの粘土模型が発見され、また、紀元前1300年頃のツタンカーメン王の墓からは乾燥したニンニク鱗茎6個が発見されています。
・紀元前450年頃エジプトを旅行したギリシアの歴史家ヘロドトスは、「ピラミッドの建設に従事した労働者が大量のニンニク、タマネギ、ラディッシュを食べて、この購入のために高額の銀が支払われた」ことがピラミッドの上に刻銘された象形文字に書いてあったという逸話を著書「エジプト史」に残しています。
・漢の武帝の頃、西域に派遣され13年間にも及ぶ西域派遣から長安に帰還した張騫(ちょうけん)によって紀元前121年にもたらされたと「本草綱目」に記載されています。

楊貴妃も愛した「にんにく」


世界三大美女のひとり、中国の美女、楊貴妃の美しい肌は、「にんにく」と艮質の油で作られた。といわれています。

クレオパトラも愛した「にんにく」


クレオパトラも愛用した『にんにく』
紀元前4500年前、にんにくは古代エジプト史に登場しました。強壮剤や媚薬として使われ、世界3代美女の一人クレオパトラもにんにくを愛用していたと言われています。また、あの巨大なピラミッドを築いた労働者も重労働に耐えるため、にんにくを常用したと伝えられています。日本へは聖徳太子の時代に伝わってきたとされています。『にんにく』は仏教用語の「忍辱(にんじょく)」が語源で「あらゆる困難に耐え忍ぶ」という意味で修行僧が荒行に耐える体力づくりのために食したそうです。
この原画は・・・
「カエサルの前のクレオパトラ(Cleopatra before Caesar)」
原画の作者ジャン=レオン・ジェローム
(Jean-Leon Gerome, 1824 - 1904)

≪作者について≫ 
ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Leon Gerome, 1824-1904)はフランスの画家・彫刻家です。 1847年のサロン展に出品した油彩作品「闘鶏」が、有名な作家・詩人であり有力な批評家でもあったテオフィル・ゴーチエ(Theophile Gautier, 1811-1872)に称賛されたことがきっかけで、広く知られるようになりました。エジプト、トルコ、北アフリカを旅行し、オリエントをテーマにした作品を数多く発表しています。 ジェロームが描く女性像はアングルの女性像のように古典的でありながらも、より自然なポーズが特徴です。

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