日本におけるにんにくの歴史

●日本史における最初の記述
「にんにく」は、4世紀ころに、朝鮮半島、中国大陸を経て日本に伝来したと考えられます。「古事記」(712年)には「倭建命(ヤマトタケルノミコト)が東国を平定し帰途にあり、足柄山の坂本で食事をしているときに、坂の神が白鹿に化けて来たので、命は食べかけの蒜で白鹿を打つと、目にあたり、打ち殺した。」と記載されています。また、「日本書紀」(720年)にも日本武尊(やまとたける)と蒜について同じような記述があります。「にんにく」の栽培に関しては、918年の「本草和名」に記録されているのが日本における最古の記述です。
平安時代(808年)に安倍真直、出雲広貞らによって編纂されたとされる日本最古の医書「大同類聚方」には「駿河国でたくさん産する」、「悪寒発熱を伴う症状への処方」などとして蒜が紹介されています。また、984年に丹波康頼によって編纂され、丹波家に代々伝承された現存する日本最古の医書「医心方」にも、葫(和名:於保比留 おほひる)、蒜(和名:古比留 こひる)として脚気、風邪、虫刺されなど多くの症状に対する処方が示されています。

●「にんにく」と宗教
ニンニクが医薬品、食品として普及していく一方で、619年に聖徳太子が中国から伝来した仏教を国の宗教として定めて以来、ニンニクを避ける思想が浸透していきました。律宗や禅宗ではその修業の場において、怒りや情欲を呼び起こす酒と蒜を不浄なものとして食しないように戒律を作り、人々にも要求したのでした。今でも禅寺門前の戒壇石に、「不許葷辛酒肉入山門」(葷辛酒肉山門に入るを許さず)の文字が刻まれているものがあります。この葷は葷菜(くんさい)、すなわち蒜や葱のような臭い野菜を指しています。

●「にんにく」の語源
日本ではニンニクは古くは「ヒル: 蒜」と呼んでいたようです。937年に編纂された日本最古の百科事典とされる「倭名抄」には「蒜(蒜顆)、大蒜、小蒜、独子蒜、…」などの記載がありますが、ニンニクと読むものはありません。ニンニクと呼ばれるようになったのは室町時代初期のことのようで、1454年に飯尾永祥が著した「撮壌集(さつじょうしゅう)」に「葫(にんにく)和名大蒜」と記載、下がって1548年に成立した辞書「運歩色葉集」には葱蓐(にんにく)と記載されています。「ニンニク」の語源は仏教でいう「忍辱(にんにく)」、つまり耐え忍ぶことで、強烈なにおいを耐え忍ぶこと、という説があります。一方、貝原益軒は「日本釈名」(1699年)で、「にほいあしくてにくむべし」、すなわちにおいを憎むが語源としているなど、諸説があります。